『七人の侍』を見て

 サービス創造学部経済学担当の岡崎哲郎です。

 

昨日BSで黒澤明監督の『七人の侍』を放送していました。黒澤作品は機会があると見入ってしまうのですが、今回も引きずり込まれました。映画として語りたいことがたくさんあるのですが、今の経済社会につながるエピソードもいくつも見つかります。

 

 現実社会を分析するのに今はゲーム理論という手法が用いられることが多く、サービス創造学部でも経済学の分野の重要科目の一つとしています。私が担当予定です。そこに直接関係するテーマを二つほど。

 

 村を野武士から守るための方針を固める際に、村の一部の家々を見捨てる判断を侍がします。当然、その家に住む人たちは猛反対し野武士に対する備えから脱退しようとしますが、侍は毅然としてそれを許しません。村を守るという行為は、村にとっての一種の公共財なのですが、個々の村人にとっては、自分が犠牲を払わずに村が守られることが望ましいわけです。これを経済学でフリー・ライダー問題といいます。これを許すと、誰も積極的に村のために努力しなくなってしまいます。こうした中でどういった意思決定をするかという問題は、企業内部にもあると思います。なおこのエピソードでは、村全体のために一部の家々を犠牲にするわけですが、これなどは、昔から哲学・倫理学、そして経済学で議論され続けている根本的な問題です。すべてを救うことができない時に誰を犠牲にすべきか?これもゲーム理論や公共政策(これもサービス創造学部には設置されています)で扱うテーマです。

 

 もうひとつ、前半で、村人が侍を探すときに、「種籾のよし悪しは分かるが、侍のよし悪しは分からない」といったセリフが出てきます。これも典型的な経済学やゲーム理論の問題です。この問題には、最近の日本社会での食品の偽装問題と同じ構造があります。ここから企業のブランドや評判の持つ社会的な意味を導き出せます。成功したビジネス・モデルには、この問題にうまく対応しているものが結構見られます。この問題は、サービス創造学部では、経済学入門の講義でも扱う予定です。