こんにちは。サービス創造学部 准教授の清水です。
皆さん、夏休みも半ば、いかがお過ごしでしょうか。
さて、私もサービス創造学部の専任教員になって、早や4ヶ月が過ぎました。
それ以前は、サラリーマンをしていました。いくつかの会社を回ったので、それなりに面白い経験をすることが出来たのではないか、と自負しています。会社はかわりましたが、携わってきた業務は一貫していて、企業財務や経営企画のような本社機能だけです。この財務や経営に関する部門は、ある意味企業にとって中枢業務であり、それ故、ある程度の緊張感を持って仕事をすることができました。適度な緊張感があったからこそ、やりがいがあった、と言っても良いかも知れませんね。
私が、企業という、最も曖昧で、最も難しい大学で学んでいたとき、今も思い出す情景があります。今日はそれについて述べたいと思います。
初めて、米国系企業の日本法人(いわゆる外資系企業ですね)に勤めたとき・・・、今と違って、外国人とともに働くことがそれほどメジャーでないとき・・・、米国人の上司が本国からやって来てミーティングが開かれました。といっても、こちらはまだ、金融機関に3年ほど勤めただけのヒヨっこ、おまけに事業会社での財務経理に関する実務経験は甚だ心もとない。せいぜい、英会話が少しくらい出来るというだけの新人そのものですから、会議中には並み居る諸先輩の後ろに張りついて、終始一言も喋りませんでした。真夏の午後、全面ガラス張りの高層ビルの眼下には、都会の街並みが涼しげに横たわっています。耳元には触りのよいネイティブイングリッシュ・・・。
さて、会議が終わってみると、私はその上司に呼ばれたような気がしました。”気がしました”というのは呼ばれたかどうかも良く分からなかったということです。だいいち、本社のオエラ方がいちいち新人に声をかけるとは、寸毫も予想しなかったのです。
– キミは、なぜ会議中に発言しなかったのだ –
– 座っているだけなら、会議に出る必要はない –
たぶん、こんな感じのことを指摘されたのだと記憶しています。でも、決して”怒られた”のではありません、”指摘された”だけなのです。
彼の言わんとしていることが、ぼんやりと理解できました。
それから一生懸命、財務や経営に関する勉強や実技に励み、会議でもめくるめく積極的に・・・とはいかないにしても、それなりに発言するよう努力しました。そうして、その会社を去るまでになんとか目鼻がつくような人材になれたのではないか、と思っています。ええ・・・、たぶん・・・。
皆さん、私が言いたかったことがお分かりでしょうか。
授業では、先生の言うことをじーっと聞いているだけではダメだということです。授業はインタラクティブなものでなければ意味がありません。かのソクラテスだって問答を重視していたのです。
幸い、サービス創造学部には、実践の英知を養うべく鍛え抜かれた数多の科目があります。皆さんは、自ら呻吟し、考えを醸成し、そうしてアウトプットをださねばなりません。大丈夫、学生のうちは、間違っても恥をかくくらいです。“致命傷”にはなりません。社会人になってから訓練するよりも、今、トレーニングする方が、はるかに有利ですよ。
え、私が社会という大学をうまく修了できたかって?うーん、20年在籍しましたが、それは分かりません。皆さんの評価にお任せします。では、秋の授業でもがんばりましょう。
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