経済学担当の岡崎哲郎です。
今NHK衛星で『刑事コロンボ』を放送しています。30年以上前にNHKで放送していて、当時熱中して見ていました。当時思っていたのですが、このドラマでは、犯人が犯人であることを示す決定的な証拠は不十分な場合が多いと思います。もちろんコロンボが推理を通じて犯人を追いつめるその経緯がこのドラマの見どころですから、決定的な証拠があるかどうかはドラマの価値には影響を与えないし、子供の頃にこの点が気になりながらも毎回ドラマを楽しんでいましたし、30年以上たった今でもコロンボの推理を覚えているのですから、やはり私にとって忘れられないドラマとなっています。
この子供の時の記憶から、まったく関係のない映画『パリの灯は遠く』が頭に浮かびました。20年以上前に見た映画なので曖昧なのですが、第2次大戦中にアラン・ドロン演じる主人公がユダヤ人であるという疑惑をかけられ、自らを陥れようとしている人物を探し出そうと行動すればするほど、その行動がかえって警察にユダヤ人だと信じ込ませる事実を残してしまいます。最後のシーンは今でも頭に残っていて、私の解釈では映画中にほとんど出てこない一人のユダヤ人の思いがそこで浮かび上がってくるものでした。この主要モチーフとは別物なのですが、警察の推理につながる事実が出てくるうちに、ユダヤ人でない一人の青年がユダヤ人とされてしまうという点は、推理を基に一人の人間を犯人としていくコロンボと重なっている気がします。構造は逆ですが。
コロンボが全く事件と関係ない人物を犯人と思い、その推理をその人物に伝えながらゆさぶりをかけ、その人物は自分の無実を示そうと行動すればするほど逆に不利な事実が残り、コロンボがその事実に従って推理を組み立て、最後はその人物が犯人とされてしまう。こんなパロディが可能では。ちなみにカフカの小説では、自分が何の罪に問われているかもわからないまま権力によって追い込まれていくというものもありました。この小説はオーソン・ウェルズが映画化して、そこでの光と闇を使った映像の見事さは今でも覚えています。
学生プロジェクトで誰か映像作成に挑戦しないですか。サービス創造ですから、刑事ものにはならず、経済活動のイメージを表現するものとなると思いますが、挑戦する価値はあると思います。その中のいくつかが、マリーン・スタジアムやJRの車両の中で映し出される、とまでいけば素晴らしいですね。商経学部での仲の良い同僚の仏文学者が数年前から映画作製に凝っていて、すでに3本作り、我々や地元の人たちを集めて上映会をやっていますから、アドバイスをしてくれるかも。そういえば、彼の第1作目は刑事もので、私が犯人役でした。